「夏休みなのにどこにも連れてってやれない」の正体
毎年、給食のありがたさを思い知る夏休み。
そして毎年「夏休みなのにどこにも連れてってやれない」ってなんだか子供に対して罪悪感を感じる夏休み。
今年の我が家の予定は墓参り(日帰り)と帰省。
あとはせいぜい近くの市民プール、スイカを買ってくる、そうめんをいっぱい食べる。
あれ?けっこう夏っぽい。大丈夫。
インスタのお出かけ系アカウントではレジャープールや花火、お友達家族はキャンプ、あっちはディズニーランド。
そんな情報に触れるたびに「うちはどこにも連れて行ってやれてない」と思ってしまいますが、彼らだって夏休みの大半は普通に家で過ごしていて我が家と変わらないはずです。
「夏休み」は子供より親にとって特別な、感情を揺さぶられる期間であるように思います。
自分が親にしてもらったこと、したかったけど叶わなかったこと、自分が子供の頃には存在しなかったもの
そのすべてを夏の間に与えなければいけない気がする、でも現実にはそんな時間もお金もないんです。
これって理想が高すぎて満たされないように感じているだけ、じゃないでしょうか。
実際に自分が子供の頃は「学校に行かなくていい」ってだけで夏休みは特別な日々だったし、今思えば頑張って連れて行ってくれてたんだなと感謝しかない家族旅行やキャンプは数年に1回でも充分心に残っています。
毎年楽しい夏休みを過ごすべく努力をしているのに、いつも感じてしまう「夏休みなのにどこにも連れてってやれてない」という謎の罪悪感をよく考えてみたら、他の人と比べたり、与えられるはずのないもの求めて落胆したりしていたのだと気が付きました。
そもそも夏の思い出なんて親が一方的に与えるものじゃないですよね。
足りないなんて感じる必要はなかった、もう少し早く気付けば良かったな。